台大医院駅周辺

大東亜戦争における台北の歴史
台北中心地台北駅周辺・旧台北州庁舎・日本家屋台大医院駅周辺・旧日本勧業銀行台北支店、土銀展示館・旧三井物産社屋・旧児玉総督・後藤民生長官記念館、 国立台湾博物館・旧台湾帝国大学付属医院・旧台湾総督邸西門駅周辺・旧台北西門市場・旧台北公会堂・...

台大医院駅周辺の戦跡一覧

旧日本勧業銀行台北支店、土銀展示館

土銀展示館は台湾国立博物館の別館であり、旧土地銀行本店休館の建物を利用したものである。台湾土地銀行の前身は大正12年(1923年)に台湾に進出した日本勧業銀行(現在は合併によりみずほ銀行)である。

勧業銀行は台湾で不動産や土地開発、造林、灌漑水利などの事業を手がけた。終戦で日本が撤退したあと、台湾土地銀行が設立され勧業銀行の台湾の業務を引き継いだ。勧業銀行は台湾に5支店を設立し、台南支店とこの台北支店は1930年代に建設された大規模銀行庁舎であった。

銀行の金庫室が改装されて展示場となっている。銀行通帳や土地改革の資料など、銀行業務に関わる資料が豊富であり、台湾近代金融の発展の歴史を辿ることができる。

博物館には生物学の資料の展示コーナーなども併設されている。恐竜の骨格である。

展示内容詳細はこちら
・金庫室
・銀行関連資料
・その他資料

「旧日本勧業銀行台北支店、土銀展示館」の展示内容
金庫室日本勧業銀行は特に農業、漁業の新興を目的として融資を行っていた。現在は銀行の金庫室が修復、改装されて展示室となっている。頑丈そうな金庫室の扉が来場者を出迎える。金庫の扉には「The Kunisuye Co Nihonbashi Tok...

「旧日本勧業銀行台北支店、土銀展示館」の歩き方
旧日本勧業銀行台北支店、土銀展示館MRT淡水線台大医院駅下車。公園路を100mほど北へ行くと、襄陽路とのT字路があるので、ここを左折する。
道の左手側には国立台湾博物館の大きな建物が見えている。襄陽路と懐寧路との交差点の北東角に位置する。

入場料:20元
開放時間:10:00~17:00
休館日:日曜、祝日
HP:http://formosa.ntm.gov.tw/web/jp/3-1-1-1.html
(2011年現在)

旧三井物産社屋

三井物産の台湾本部として総合商社業務を行っていた建物である。建築は1940年代前半である。

建物はかなり古く見えるが、現在も台湾土地銀行がオフィスとして使用しているそうである。

「旧三井物産社屋」の歩き方
旧三井物産社屋MRT淡水線台大医院駅下車。公園路を100mほど北へ行くと、襄陽路とのT字路があるので、ここを左折する。
道の左手側には国立台湾博物館の大きな建物が見えている。

襄陽路に入ってすぐに館前路とのT字路がある。建物はこのT字路の北西角にある。

旧児玉総督・後藤民生長官記念館、国立台湾博物館

大正2年(1913年)に起工し、大正4年(1915年)に竣工した児玉総督・後藤民生長官記念館である。現在は国立台湾博物館となっている。クラッシック風の左右対称な長方形の建築であり、正面はギリシャドリス式の列柱からなっている。

背面は公園が見渡せるように全面にベランダが設けられている。中央の高いドームが特徴的である。

竣工後、明治41年(1908年)の縦貫線鉄道開通記念のために台湾総督府民政部殖産局付属博物館が設立された。当初は台北書院街の彩票局ビルにあったが、当記念館完成後にここに移転した。一階は高砂族室と華南南洋、地質と鉱物室、二階は歴史室と動物室となっていた。

ドームの下は吹き抜けの大きな空間となっている。

建物は地上二階、地下一階である。階段の踊り場などの内装も重厚な造りである。

アルコーブ(正面玄関)両側には児玉源太郎と後藤新平の銅像が置かれていた。銅像は現在館内に収蔵されている。

戦後、中華民国国民政府はこの博物館を接収し、「台湾省立博物館」と改名した。引き続き博物館として使用し、現在に至っている。収蔵品は多岐の分野に渡る。

展示内容詳細はこちら
・蒸気機関車
・児玉源太郎、後藤新平像

「旧児玉総督・後藤民生長官記念館、国立台湾博物館」の展示内容
蒸気機関車博物館の周辺は公園となっており、建物正面左手側に蒸気機関車が展示されている。清代にドイツから輸入された「騰雲号」である。明治20年(1887年)製の鉄道建設用の車両であり、台北-基隆間の建設に従事した。明治21年(1888年)から...

「旧児玉総督・後藤民生長官記念館、国立台湾博物館」の歩き方
旧児玉総督・後藤民生長官記念館、国立台湾博物館MRT淡水線台大医院駅下車。公園路を100mほど北へ行くと、襄陽路とのT字路があるので、ここを左折する。
道の左手側に国立台湾博物館の大きな建物が見えてくる。

入場料:20元
開放時間:10:00~17:00
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、旧正月期間
HP:http://formosa.ntm.gov.tw/web/jp/2-1.html
(2011年現在)

旧台湾帝国大学付属医院

台湾帝国大学付属医院は現在台大医院旧館となっている。

正面中央部の装飾が壮麗である。1階はドリス様式の列柱が並んでおり、2階はドリス様式の列柱に縦長の長方形の窓の上に丸型の窓、3階はアーチ式の窓、と階ごとに装飾を変えた凝ったつくりとなっている。

中央部は吹き抜けとなっており、開放的な造りである。1階部分は防湿対策で地上から若干高い位置となっている。

台湾帝国大学は昭和3年(1928年)に設置され、当初は文政学部と理農学部の2学部であった。医学部は昭和12年(1937年)に設置された。病院自体は台湾病院が前身であり、昭和13年(1938年)に医学部の管轄下に入った。

戦後は台湾大学医学院付属医院となり、外来患者なども診察しているようである。そのため、建物は開放されており、自由に中を見学することができる。薬の窓口のようである。

建物は明治45年(1912年)に着工し、大正5年(1916年)に竣工した。台湾病院は当時東アジア最大規模の病院であり、台湾の医学発展に貢献した。

2階のテラス部分である。

敷地内に日本家屋らしき屋根瓦の建物が遺されていた。当時のものであろうか。

「旧台湾帝国大学付属医院」の歩き方
旧台湾帝国大学付属医院MRT淡水線台大医院駅下車。公園路を南へ100mほどのところの常徳街とのT字路を左折する。常徳街に入ってすぐ、左手に台大医院の正面玄関がある。

台大医院の敷地は広く、ここから北側の1ブロック全てが敷地となっている。

旧台湾総督邸

台湾総督邸は現在台北賓館となっている。建物は明治32年(1899年)に起工し、明治34年(1901年)に竣工した。日本統治時代は総督の官邸としてだけでなく、迎賓館としても使われた。昭和天皇も皇太子時代に宿泊した。

戦後は中華民国に引き渡され、以降迎賓館として使われている。1952年の日華平和条約が調印されたのもここである。年に数回一般公開され、条約調印時を再現した展示があるそうである。

「旧台湾総督邸」の歩き方
旧台湾総督邸MRT淡水線台大医院駅下車。

公園路を南へ200mほどいったところの凱達格蘭大道との交差点の北東側にある。

大東亜戦争遺跡
「大東亜戦争遺跡」について「大東亜戦争全史」と並び、本サイトのメインコンテンツです。日本国内や東アジア・中部太平洋方面には、大東亜戦争に関する遺跡・遺物が多数遺されています。それらは、かつて戦闘が行われた場所であったり、当時の兵器類であった...
大東亜戦争における台湾の歴史
台湾は沖縄本島から南西に約700km、日本の最西端与那国島からは西へわずか約100kmに位置する。中国大陸からは台湾海峡を挟んで約200km離れている。面積は約3万6000平方km、人口は2311万人である(2009年)。九州と比べると、面...
大東亜戦争における台北の歴史
台北中心地台北駅周辺・旧台北州庁舎・日本家屋台大医院駅周辺・旧日本勧業銀行台北支店、土銀展示館・旧三井物産社屋・旧児玉総督・後藤民生長官記念館、 国立台湾博物館・旧台湾帝国大学付属医院・旧台湾総督邸西門駅周辺・旧台北西門市場・旧台北公会堂・...