西門駅周辺

大東亜戦争における台北の歴史
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西門駅周辺の戦跡一覧

旧台北西門市場

台北西門市場は現在紅樓劇場となっている。台北西門市場は明治41年(1908年)に建設された公営市場であり、西洋建築を得意とする近藤十郎が設計した。「八卦造型」という斬新なアイデアであり、これは八方から市場に人が集まってくる様子をイメージしたものである。

この八角楼の背後には十字楼が配置されている。オープンカフェが営業している。

平面図である。

当時は1階で日用品が、2階で書画骨董が販売されていた。戦後、台湾には多くの外省移民が流れ込んできたが、この建物で上海の京劇や黄金話劇が上演され、中国を懐かしむ移民たちで賑わったそうである。

十字の先端部分である。

「旧台北西門市場」の歩き方
旧台北西門市場MRT板南線西門駅から西都路を西へ。

駅から100mほどのところ、左斜め前に少し入ったところに八角楼が見えている。

旧台北公会堂

北公会堂は昭和7年(1932年)に起工し、昭和11年(1936年)に竣工した。2階構造の集会室と食堂を有し、市民集会の場所として使われた。現在は中山堂となり、台湾での演劇界での重要な発表の場として使用されている。

建物周辺は公園となっており、当時の写真が展示されている。「中山堂」という文字がない以外は、当時と全く変わっていない。

昭和20年(1945年)10月25日、この台北公会堂において台湾総督府最後の総督であった安藤利吉と中華民国代表の台湾行政長官兼警備総司令の陳儀によって降伏式が行われた。

車止めである。

入場前に靴底を洗うための洗い場である。同様の洗い場が各入口に設けられている。

建物の一部を利用して喫茶店が営業しているようである。

建物は4階建ての鉄筋造りである。東京、大阪、名古屋の公会堂に次ぐ規模であった。

「旧台北公会堂」の歩き方
旧台北公会堂MRT板南線西門駅から衝陽路を100mほど東へ。延平南路を北へ100mほど行くと、公園のような広場がある。

中山堂は公園の中にある。

旧台北信用組合本店

昭和2年に竣工した台北信用組合本店である。主に日本人が経営する中小企業向けの融資を行っていた。戦後は台北第十信用合作社に接収されたが不正融資事件で経営困難に陥り、1981年に合作金庫銀行に吸収された。現在も合作金庫銀行城内分行として営業している。

建物の上部にはフクロウの彫刻が取り付けられている。夜行性のフクロウが夜も目を光らせているように、常に預金者の財産を守る、という意味が込められているそうである。

「旧台北信用組合本店」の歩き方
旧台北信用組合本店MRT板南線西門駅から衝陽路を東へ200mほど行ったところの左側である。

桃源街が衝陽路に突き当たるところである。

旧帝国生命保険会社

旧帝国生命保険会社の社屋である。帝国生命が台湾での業務を開始したのは大正7年(1918年)のことであった。戦後に3階建ての建物の上に4階を増築したらしいのだが、建物の上の方を見ると確かに色と形式が違うように見える。

現在は台湾銀行のオフィスとして使われているようである。「台湾銀行 国際部」とのプレートがかけられている。

「旧帝国生命保険会社」の歩き方
旧帝国生命保険会社MRT板南線西門駅から賽慶路を西へ300mほど。

賽慶路と博愛路の交差点の北西角である。

台湾銀行本店

台湾銀行本店である。台湾銀行は明治32年(1899年)に設置された台湾の中央銀行であり、紙幣発行を持つ特殊銀行であった。台湾総督府のすぐ北側に位置し、この銀行が台湾経済の中枢として重要視されていたことが伺える。台湾銀行は中央銀行であったが、企業への融資などの一般商業銀行の業務も行った。

当初は木造建築であったが白蟻の被害にあったため、昭和13年(1938年)に現在のコンクリート造りに建て替えられた。建物の前に木造建築時代の写真が展示されている。

台湾銀行は終戦で閉鎖機関に指定され、清算され解散した。建物は接収され、1946年に台湾貯蓄銀行と三和銀行が合併して同名の台湾銀行として再スタートした。法的には別の銀行であるが、実質的には旧台湾銀行が前身である。

入口には頑丈そうな3枚の鉄の扉が並んでいる。内装は改装されているそうである。

戦後も1960年代まで実質的に中央銀行の役割を担っていた。中央銀行の業務が移管された現在においても、台湾で最大の商業銀行である。

「台湾銀行本店」の歩き方
台湾銀行本店西門駅から賽慶路を西へ500mほど行くと、重慶南路一段に突き当たる。台湾銀行はこのT字路の北西角にある。

総統府のすぐ北側である。

旧台北偕行館

大正4年(1915年)竣工の旧台北偕行館である。日本陸軍将校のクラブであった。

戦後は国民政府に接収され、1950年に婦女反共連合会(後の婦連総会)に移譲された。婦連総会は蒋介石の妻、宋美齢が長きに渡って業務を行っていた。

建物は閉鎖されているようである。壁に「台湾台北地方法院 遷建用地」との看板が掛かっていた。法院が移転してくるのであろうか。

「旧台北偕行館」の歩き方
旧台北偕行館MRT板南線西門駅から賽慶路を東へ400mほど行ったところの博愛路で右折する。右折したところから50mほどの右手が旧台北偕行館である。

塀に囲まれているので、建物は見づらい。

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