蒸気機関車
博物館の周辺は公園となっており、建物正面左手側に蒸気機関車が展示されている。
清代にドイツから輸入された「騰雲号」である。明治20年(1887年)製の鉄道建設用の車両であり、台北-基隆間の建設に従事した。
明治21年(1888年)から昭和3年(1928年)まで運用され、退役した後は現在に至るまで当博物館の所蔵となった。
イギリス製の「台湾鉄路第九号蒸気機関車」である。明治4年(1871年)製であり、明治5年(1872年)から明治28年(1895年)まで東京-横浜間を運行していた日本でもっとも古い時期の機関車である。
日本での運行を退役したあと、他の8両と共に台湾へ輸送された。昭和元年(1925年)まで運行したのち、退役して「騰雲号」と共に当博物館で展示されている。
児玉源太郎、後藤新平像
博物館の展示は台湾の歴史と自然を主題とし、歴史と諸民族、地質史と鉱物、生物の多様性、台湾の生物、台湾の先住民に分けられている。その中に博物館の成り立ちを説明するコーナーがある。建物は日本統治時代の大正4年(1911年)に完成したときから博物館として使われていた。
児玉総督及び後藤民生長官記念館定礎板である。元ロビー入口の壁に掛けられていた。
児玉源太郎の銅像である。児玉は後藤新平を民生長官に任命し、統治を全面的に委任していた。日露戦争開戦前に総督を辞任し、参謀次長となった。日露戦争開戦後は満州軍総参謀を引き続いて務め、戦争終結後の8ヶ月後に脳溢血で死亡した。
後藤新平の銅像である。後藤は現地事情をよく調べ、これに合わせた制度を導入していくべきと考えた。これは当時庶民の間で蔓延していた阿片の禁止政策によく現れている。後藤は阿片を性急に禁止せず、まず高率の税をかけて購入しにくくした。また、吸引を免許制として常習者を減らていき、最終的には阿片の根絶に成功した。