小南門駅周辺

大東亜戦争における台北の歴史
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小南門駅周辺の戦跡一覧

旧台湾総督府

大正8年(1919年)に竣工した旧台湾総督府庁舎である。現在は総統府として使用されている。赤と白のコントラストが印象的なルネッサンス様式であり、中央の約60mの塔は当時台湾で最も高い建築物であった。

正門には衛兵が目を光らせており、物々しい雰囲気である。

台湾総督府は日清戦争後の下関条約で割譲された台湾を統治するための日本の出先官庁であった。行政・司法・立法・軍事を司る強大な権限があった。

初期の台湾統治は軍事力を全面に押し出して反乱を鎮圧するなど、強硬な姿勢であった。この姿勢が変化していくのが明治31年(1898年)から総督となった児玉源太郎の代からである。抗日運動には強圧的な姿勢で臨む一方、現地住民の権益を保護するなど、硬軟の政策を使い分けた。

台湾軍の指揮権が台湾軍司令官に移譲したあとは文官が総督になることが可能となった。文民総督が誕生した1920年代頃からは、強圧的な支配よりも近代的な経済体制を導入することによって社会の安定が図られた。

「旧台湾総督府」の歩き方
旧台湾総督府MRT小南門支線小南門駅から愛國西路を東へ100mほどのところの重慶南路一段を左折する。左折してから500mほどの左手に総督府がある。

塔が高いので、遠くからでもよく見える。

旧総督府交通局

大正13年(1924年)に建てられた旧総督府交通局である。台湾における国有鉄道、港湾設備、道路橋梁、郵便・郵便為替・郵便貯金・電信・電話・航路標識に関する事項を担当し、私設鉄道・軌道・航路・船舶・海員・電気事業を監督した。

現在は総統副総統文物館となっている。館内には総統と副総統が外交の席で諸外国より送られた土産物などが展示されている。

建物の西側にこの建物を説明するパネルが何枚か設置されている。中国語のみである。その中の一枚に当時の写真が展示されていた。建物の北側を写したものである。

現在と比較すると両者は良く似ているが、列柱の上の部分に窓が付け加わっているのが分かる。戦後に増築されたのであろう。

「旧総督府交通局」の歩き方
旧総督府交通局MRT小南門支線小南門駅から博愛路を北へ500mほど行ったところの左手側である。長沙街一段とのT字路の南西角である。

総督府の裏側である。

旧電話交換局

昭和12年(1937年)に竣工した旧電話交換局である。当時は日系の建設会社が官庁等の施工を受けるのが慣習であったが、この建物の建設を請け負ったのは台湾人の協志商会所である。

現在は中華電信が使っているようである。台湾の電信事業は1980年代まで国営であったが、現在は民営化されている。

「旧電話交換局」の歩き方
旧電話交換局MRT小南門支線小南門駅から博愛路を北へ500mほど行ったところの左手側である。貴陽街一段とのT字路の北西角である。

総督府の裏側である。

国軍歴史文物館

国軍歴史文物館は日中戦争や国共内戦などの国民党の戦いに関する展示が中心の博物館である。

入口には2頭の中国獅子が来客を出迎える。「九二重機関銃」や「十四年式自動拳銃」など、日本軍が遺した武器が展示されているが、今回は残念ながら休館日だった。

建物左側に展示されている明治30年(1897年)のドイツ製魚雷である。

建物右側には第二次世界大戦以前の時代のドイツ製やロシア製の大砲が展示されている。大東亜戦争時代の日本軍の砲弾もある。

「国軍歴史文物館」の歩き方
国軍歴史文物館MRT小南門支線小南門駅から博愛路を北に500mほど行ったところの貴陽街一段を左折。ここから400mほどいった右手側に博物館はある。

MRT板南戦西門駅からでも、距離は同程度である。

旧台北州立台北第一高等女学校

旧台北州立台北第一高等女学校である。女子教育の拠点として明治37年(1904年)に設立された。支那事変が始まった昭和12年(1937年)からは皇民化教育が実施された。昭和20年(1945年)には空襲の被害を受けた。

現在は台北市立第一女子高級中学となっており、引き続き女子教育の中心となっている。

「旧台北州立台北第一高等女学校」の歩き方
旧台北州立台北第一高等女学校MRT小南門支線小南門駅から愛國西路を東へ100mほどのところの重慶南路一段を左折する。左折してから400mほどいった右手に門がある。貴陽街一段との交差点の南東角である。

総統府のはす向かいの位置である。

旧台北地方法院、高等法院

昭和9年(1934年)に竣工した旧台北地方法院、高等法院である。すぐ北に台湾総督府、その北に台湾銀行があり、まさにこの一角は台湾の政治・経済・司法の中心であった。

建物は重厚な造りであり、正面には車止めがある。

旧台北地方法院、高等法院旧台北地方法院、高等法院現在は司法院として、引き続き法を司っている。

建物は薄緑色である。国防色と呼ばれた空襲から目立たなくするための色彩であった。

「旧台北地方法院、高等法院」の歩き方
旧台北地方法院、高等法院MRT小南門支線小南門駅から愛國西路を東へ100mほどのところの重慶南路一段を左折する。左折してから400mほどいった左側である。貴陽街一段との交差点の南西角である。

総統府のすぐ南の位置である。

旧日本軍司令部

国防部である。市内のところどころに立っている近代建築地図によると、ここは旧日本軍司令部とされている。銃を持った兵士が入口を守っている。

塀の外から見ると、台湾総督府と似た色彩の赤と白の近代建築らしき建物が見えるが、詳細は不明である。

「旧日本軍司令部」の歩き方
旧日本軍司令部MRT小南門支線小南門駅から愛國西路を西へ200mほど行ったところである。

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