「大連ヤマトホテル」
「旧大連ヤマトホテル」である。
ヤマトホテルは満鉄が経営していた高級ホテルブランドであり、満鉄沿線の主要都市に展開していた。
ヤマトホテルの旗艦店である「大連ヤマトホテル」は、明治40年(1907年)に旧ダーリニーホテルを改装して開業した。その後、宿泊者の増加に対応するために「旧ダーリニー市役所(その後の満鉄本社)」に移転したが、大正3年(1914年)に「中山広場」にそれまでの倍の客室数を擁する新館を竣工させて再オープンした。
現在は当時の建物をそのまま使い、3つ星ホテル大連賓館として営業している。
ホテルのロビーには、当時の食器やランプなどが展示されている。
当時、大連は日本から満州への玄関口であり、欧米の一流ホテルに負けない格式が求められた。
現在もホテル内部は格式高い雰囲気が漂っている。また、1階の通路には当時の写真が展示されている。
当時の「中山広場」の空撮写真である。この広場を取り囲むように建てられた日本統治時代の建物の多くが現存している。
当時の「大連ヤマトホテル」である。建物の外観はイオニア式ジャイアント・オーダーが8本並ぶルネサンス様式である。地上4階、地下1階建てである。
大連がソ連軍に占領された後、「大連ヤマトホテル」はソ連軍司令部として接収された。
1930年代に「大連ヤマトホテル」の玄関から左前方向を撮影したものである。
同アングルでの現在の風景である。新旧を比べると、付近には戦後のビルも建っているのが分かる。しかし、写真中央の塔が特徴的な「旧大連民政署」は、今も当時と同じ風景を見せている。
「大連ヤマトホテル」の歩き方
「中山広場」の南側である。
延安路と解放街に挟まれている。
「大連民政署」
関東都督府民政部のもとで大連を管轄した行政機関、「旧大連民政署」である。
ゴシック様式であり、日本統治かの大連で最初に建てられた官庁であった。特徴的な時計塔はハンブルク(ドイツ)市役所やゲント(ベルギー)のギルドホールを参考にして設計された。
戦後は大広場警察局、中国海軍後勤部、遼寧省対外貿易経済合作庁として使われた。
現在はシティバンクが入居しているようである。
「大連民政署」の歩き方
「中山広場」の南西側である。
中山路と玉光街に挟まれている。
「朝鮮銀行大連支店」
日本統治領での中央銀行としての機能を担っていた旧朝鮮銀行の大連支店である。
建物正面のコリント式オーダーが特徴的なルネサンス様式の建物である。コリント式オーダーとは古代ギリシアの建築の一つであり、溝が掘られた細身の柱身と、アンカサスの葉がかたどられた装飾的な柱頭を持つ様式である。
正面入口の柱の下には、大連中山広場近代建築群として全国重点文物保護単位に指定されていることを示すプレートがはめ込まれている。戦後も銀行として使われ、現在は中国工商銀行中山広場支行が使用している。
「朝鮮銀行大連支店」の歩き方
「中山広場」の西側である。
民康街と中山路に挟まれている。
「関東逓信局・横浜正金銀行大連分行」
「旧関東逓信局」である。
関東州での郵政事業を担当した逓信省関東逓信局の庁舎だった。戦後はソ連軍に接収され、大連警備司令部となった。
現在は大連市郵政局が使用している。
「旧横浜正金銀行大連分行」である。
横浜正金銀行は日本唯一の外国為替管理銀行であった。3連のバロックドームが特徴的である。昭和20年(1945年)よりソ連の極東銀行が使用していた。
現在は中国銀行遼寧省分行が置かれている。
「関東逓信局・横浜正金銀行大連分行」の歩き方
「旧関東逓信局」「旧横浜正金銀行大連分行」ともに「中山広場」の北西側である。
「旧関東逓信局」は上海路と民康街に挟まれている。
「旧横浜正金銀行大連分行」は民生街と上海路に挟まれている。
「中国銀行大連支店・東洋拓殖大連支店」
「旧中国銀行大連支店」である。
清国の大清銀行の支店として建てられたルネサンス様式の建物である。中央の塔のマンサール屋根が特徴的である。
現在は中信銀行中山支行が使用している。
「旧東洋拓殖大連支店」である。
東洋拓殖株式会社は植民地事業のための国策会社であった。下層に連なるアーチ窓にアメリカ商業建築の影響が見られる。
現在は交通銀行大連市分行が使用している。
「中国銀行大連支店・東洋拓殖大連支店」の歩き方
「旧中国銀行大連支店」は「中山広場」の北東側である。
「旧東洋拓殖大連支店」は「中山広場」の東側である。
「旧中国銀行大連支店」は人民路の北側である。
「旧東洋拓殖大連支店」は魯迅路と人民路に挟まれている。
「大連市役所」
「旧大連市役所」である。
塔のデザインは京都祇園祭の山車をイメージしたとされる。現在は中国工商銀行大連市分行が使用している。
広場の中央は緑豊かな公園となっている。
その周りはロータリーとなっており、交通量は多い。
「大連市役所」の歩き方
「中山広場」の南東側である。
解放街と魯迅路に挟まれている。