「大連駅周辺の戦跡一覧」
「大連駅」
陸路での大連観光の玄関口でもある。
駅自体は明治36年(1903年)にロシアが開業し、現在の「駅舎」は昭和12年(1937年)に建設されたものである。
昭和12年(1937年)当時の「大連駅舎」である。
日本の上野駅がモデルとなっており、2階が出発、1階が到着、と空港のようなつくりとなっている。
5面9線を備える地上駅であり、瀋大線、哈大線が乗り入れている。
毎日約80本の旅客列車が発着し、現在も中国東北部観光への起点となるターミナル駅である。
大連駅の南側には大連市電203路(路面電車)が通っている。ここを走っている3000型は、日本統治時代の車両である。
現在も改修しながら引き続き使われているので、当時の姿を思い浮かべつつ観光できる。
「大連駅」の歩き方
大連市・旅順の観光大連市のターミナル駅である。
「中山広場」から来る場合は、中山路を南西へ。
400mほどのところにある友好広場のロータリーを右斜め前(北西へ)の普照街へ入る。
500mほどで大連駅の前の広場に出る。
「日本人街(銀座通り)」
大連駅前の旧「連鎖街」には日本人街があり、かつて「銀座通り」と呼ばれた。
現在も当時の建物が残り、繁華街として栄えており、観光客の姿も良く見かける。
写真の建物の2階はかつて俳優三船敏郎の父親が経営していたスター写真館であり、観光ブックにも載っている。
三船敏郎の父徳造は青島で貿易商を営んでいたが、昭和元年(1925年)に敏郎が5歳のとき大連市に移り住んだ。
敏郎は昭和15年(1940年)に満州陸軍第七航空隊に配属され航空写真を扱い、熊本の特攻基地で終戦を迎えた。
終戦後に日本人が退去した後も多くの建物が残された。裏通りに入ると工具を扱う店がずらりと並んでいる。
これらの建物は特に観光のための歴史保存指定を受けているわけでもなく、地方からの出稼ぎ労働者の入居によって維持されているようである。
老朽化した建物と後ろの近代的なビルとの対照が印象的である。
「日本人街(銀座通り)」の歩き方
大連市・旅順の観光「大連駅」のすぐ前である。
「中山広場」から来る場合は、東へ。
800mほどのところの栄盛街を右手に入る。 スター写真館は大通りの長江路に出る1ブロック手前のT字路の左側の建物である。
栄盛街を左(西)に入ったところが旧連鎖街であり、薄汚れた通りの両側に工具店や住居が並んでいる。
「三越百貨店」
「旧三越百貨店」である。
現在は秋林女店というデパートになっている。付近は商業施設の立ち並ぶ一等地であり、観光ついでの買い物をするのにも良い場所である。
「三越百貨店」は「大連駅」の開業に合わせて新築された。 大連駅付近からも塔の部分が見える。
「三越百貨店」の歩き方
大連市・旅順の観光「中山広場」からは中山路を東へ700mほど行った左手である。 青泥窪路と中山路との交差点のところである。