戦争遺跡

北京

北京郊外

北京郊外の戦跡・見どころ一覧「坦克博物館(タンク博物館) 」北京郊外の戦車の博物館である。「坦克(タンク)」とは「TANK」を音写した中国語表記である。中国語での「戦車」とは、馬が引く古代戦闘馬車(チャリオット)を指す。博物館正門の両側には...
北京

北京市街

北京市街の戦跡・見どころ一覧「北京航空館(北京航空航天大学)」北京航空航天大学の敷地内に北京航空館がある。建て替え中で博物館としては公開していなかった。収蔵品は駐車場だったスペースに保管されている。主翼が雑然と積み重ねられており、保存状態は...
大連・旅順

「東鶏冠山北堡塁」の詳細

「トーチカ」「東鶏冠山北堡塁」は旅順の要塞群の中でも堅固なトーチカで固められた永久陣地であった。かつては立ち入りが制限される場所であったようだが、現在は観光客に開放されている。治37年(1904年)8月19日からの第一次総攻撃において、日本...
大連・旅順

「203高地」の詳細

「慰霊塔」「203高地」は旅順港の北側にある丘陵である。現在は日露戦争の有名な激戦地として観光地化されている。日露戦争当時、この丘を巡って激しい争奪戦が繰り広げられた。この丘が両軍にとって重要視されたのは、旅順港に立てこもるロシアの旅順艦隊...
大連・旅順

「日露監獄旧址博物館」の展示内容

「監獄概観」日露監獄は明治35年(1902年)にロシアが建設したのが始まりである。当初は85室の牢獄とオフィス棟が一つだけの小規模な造りであった。正面のグレーの建物はロシア時代の建築である。日露戦争終了後、明治40年(1907年)に日本は牢...
大連・旅順

「満鉄本社・満鉄旧跡陳列館」の展示内容

「館内概観・総裁の執務室」「南満州鉄道株式会社本館」の右手側の「別館」は、現在「満鉄旧跡陳列館」として内部が観光客に公開されている。天井や階段の内装など、概観と同じく重厚さを感じさせる。満鉄時代の主流の建築様式、内装を感じることのできる観光...
大連・旅順

旅順郊外の日露戦争の戦跡

「203高地」「旅順港閉塞作戦」に失敗した海軍は陸軍に大連から陸路での旅順攻略を強く要請した。旅順艦隊と欧州のバルチック艦隊が合流すると日本海軍連合艦隊の倍近い戦力となるため、バルチック艦隊が回航される前に沿岸砲で守られた旅順港内の旅順艦隊...
大連・旅順

中山広場東側の日本統治時代の近代建築

「満鉄図書館」「旧満鉄大連図書館」である。満鉄が明治40年(1907年)に設立したのが始まりで、この建物は二代目だそうである。 現在は大連図書館日本文献資料館となっている。「旧満鉄大連図書館」の左側の建物も立派な近代建築のように見えるが、元...
大連・旅順

大連:中山広場

「大連ヤマトホテル」「旧大連ヤマトホテル」である。ヤマトホテルは満鉄が経営していた高級ホテルブランドであり、満鉄沿線の主要都市に展開していた。ヤマトホテルの旗艦店である「大連ヤマトホテル」は、明治40年(1907年)に旧ダーリニーホテルを改...
大連・旅順

大連:露西亜町周辺

「東清鉄道汽船会社」旧東清鉄道汽船会社社屋」である。明治35年(1902年)築であったが、現在のものは平成8年(1996年)に建て替えられたレプリカである。東清鉄道汽船会社は東清鉄道の子会社であり、大連-北京間などに航路を有していた。日露戦...