高雄郊外の戦跡一覧
岡山基地
台南と高雄のちょうど中間あたりに位置する岡山基地である。戦中には日本の教育隊が展開し、飛行訓練を行っていたようである。現在も空軍軍官学校が置かれており、台湾空軍の士官の養成を行っている。また、台湾空軍のアクロバットチーム「雷虎小組」のベースでもある。
基地には「空軍軍史館」が併設されており、一般開放されている。展示内容は中国大陸での国民党の対日戦の解説が中心である。「P-51(マスタング)」も展示されているが、館内は撮影禁止である。
「空軍軍史館」と道を挟んで反対側は屋外展示場となっている。展示は戦後の台湾空軍の機体が中心である。そのうちの「C-47(スカイトレイン)」は旅客機「DC-3」の輸送機バージョンであるが、日本海軍でも「零式輸送機」として制式採用されていた。また、台湾に亡命した中国共産党空軍のミグ戦闘機も展示されている。
基地周辺の路地に「軍服 修改」の看板を出す店があった。おそらくここで学ぶ士官達の制服の直しなどを扱っているのであろう。
展示内容詳細はこちら
・C-47(スカイトレイン)
・AT-6(テキサン)・ミグ戦闘機
・40mm高射砲
「岡山基地」の歩き方
岡山基地へは台湾国鉄岡山駅が最寄り駅となる。高雄駅から岡山駅へは50元、15分程度の電車の旅である。高雄駅には有人の窓口があるので、そこで切符を買う。「岡山」は「Gangshan(ガンシャン)」という発音であるが、「岡山・一人」などと紙に書いて係員に見せれば確実であろう。
岡山駅を出たところはロータリーとなっている。ロータリーを抜けたところが中山南路であり、ここを左に(南へ)行く。1kmほどのところの介壽路を右折する。4kmほどで介壽路は分岐して左に折れていくが、ここを直進する。分岐路から300mほど直進したところが岡山基地の正門である。正門の手前右側が「空軍軍史館」となっており、左側が「軍機展示場」となっている。
岡山駅周辺には客待ちのタクシーがたくさん停まっている。岡山基地までタクシーに乗ると10分で120元程度である。帰りは介壽路と通校路の交差点まで戻れば、時折タクシーが流しているのを拾うことができるだろう。
MRT(地下鉄)紅線橋頭駅からだと、岡山基地まで10km程度である。
岡山基地岡山基地「空軍軍史館」
入場料:無料
休館日:月曜日、祝日
開館時間:
火~金曜日 08:00-11:30、13:00-16:30
(団体予約のみ)
土、日曜日 09:00-16:30(一般観覧)
HP:http://www.cafa.edu.tw/content/index.asp?m=1&m1=12&m2=120&gp=117
「軍機展示場」
入場料:無料
常時開放(夜間は不明)
(2010年現在)
海軍軍官学校
高雄市街の北側の郊外にある「海軍軍官学校」である。「海軍軍官学校」とは、海軍将校を養成するための中華民国国軍の教育機関である。海軍左営基地に併設されている。
ここの敷地内には、駆逐艦「雪風」のプロペラが展示されている。「雪風」は昭和15年(1940年)、佐世保の海軍工廠にて陽炎型駆逐艦の8番艦として竣工した。ミッドウェー海戦やレイテ沖海戦、大和沖縄特攻などの死闘に参加し、多くの日本軍艦艇が沈む中、終戦まで生き残った幸運艦である。
戦後雪風は復員船として活躍し、1万3000人以上の人員を日本に運んだ。その後、「雪風」は中華民国へ賠償艦として引き渡され、「丹陽」と命名されて中華民国艦隊旗艦として迎えられた。1969年夏の台風で艦艇破損のため沈没し、戦前・戦後に渡って活躍した「雪風」はその生涯を終えた。
正門には小銃を構えた兵士が厳重に警備を行っている。正門にて「雪風」のプロペラの見学を申し出たところ、一人の兵士が親切にも学校側へ電話をかけてくれて事情を説明してくれた。しかし、残念ながら許可が下りず、見学はかなわなかった。
裏門である。
「海軍軍官学校」の歩き方
海軍軍官学校MRT紅線世運駅下車。中海路を西へ。1kmほど行った突き当りが左営基地の正門である。海軍軍官学校の入口はこの正門の奥にある。
旗後砲台
旗津半島北端には日本統治時代に改築された灯台があり、現在は第三級古蹟に指定されている。
旗津半島は元々南側が高雄市と陸続きであったが、1975年に船を通すために切り開かれて島となった。北側はフェリーで、南側は海底トンネルで高雄市と結ばれている。旗津半島と高雄市の間の湾は高雄港となっている。
灯台の南側には旗後砲台がある。旗後砲台は清代に高雄港の防衛のために建設され、歴史資料では少なくとも1720年には存在していたことが確認されている。
暴風雨で遭難した琉球御用船が台湾南部に漂着し、先住民パイワン族に殺害された事件をきっかけとして、日本は明治7年(1874年)に「台湾出兵」を行った。清朝はこれを受け、明治8年(1875年)に旗後砲台の強化を決め、翌年に工事を完了した。
砲台には4門のイギリス製のアームストロング砲が設置された。日清戦争の後半の明治28年(1895年)10月15日午前6時55分、日本軍巡洋艦「吉野」「秋津州」その他からなる艦隊が旗後砲台に砲撃を開始した。
砲台の指揮官の劉成良は日本艦隊の砲撃の前に内陸の安平に逃げていたため、統率を失った砲台側は砲弾を5発発射したのみだった。
砲撃の後、14時30分に日本軍は上陸を開始した。そのとき既に砲台は放棄されており、砲台はすぐに占領された。日本統治時代に砲台は使われなくなり、廃墟となった。
旗後砲台は1985年に第二級古蹟に指定された。三年間の補修ののち、1995年に再公開され現在に至っている。
旗後砲台旗後砲台遊歩道脇にトーチカがある。いつの時代のものかは不明である。
地下トンネルのようなものもある。
「旗後砲台」の歩き方
「旗後砲台」は旗津半島の北端にある。旗津半島へはMRT橘線の終着駅の西子湾駅近くのフェリー乗り場から旗津フェリーが運航している。料金は15元、10分程度の船の旅であり、5分に1本程度運航しているようである(2010年現在)。
西子湾駅から捷興二街を南西へ。200mほどで濱海一路に突き当たるので、ここを右折。500mほどでフェリー乗り場「鼓山輪渡站」に出る。
旗津半島側の「旗津輪渡站」でフェリーを降りて、大関路を南へ。100mほどのところの通山路との交差点を右折する。500mほどのところで左斜め前に伸びる旗下巷という路地に入る。
右側の道へ進めば高雄灯台に出る。左側の道へ進むと旗後砲台に出る。なお、高雄灯台と旗後砲台は山道で結ばれており、この道の途中にトーチカがある。
戦争興和平紀念館
旗津半島から台湾海峡を望む場所にある戦争興和平紀念公園である。元台湾籍日本兵の許昭栄氏個人によって建てられた博物館である。
博物館建物の周辺は開放的な広場となっており、戦没した台湾兵のための碑が建てられている。海沿いであり、とても景色の良い場所である。
屋内はパネル展示が中心である。大東亜戦争期間中、台湾籍日本兵は日本国のために戦った。終戦で台湾に帰国したあとも彼らの戦いは終わらなかった。国共内戦のため、国民政府(国民党)に徴兵されて中国大陸に送られたのである。誰のために、何のために戦うのか?彼らの苦悩が記されている。
物品展示は許昭栄氏個人の装備品とその他の寄贈からなっており、数は多くない。しかし、これらは観覧者に彼らの戦いを静かに語りかけてくる。
展示内容詳細はこちら
・博物館概観
・館内展示
「戦争興和平紀念館」の歩き方
旗津半島の中央部である。旗津半島へはMRT橘線の終着駅の西子湾駅近くのフェリー乗り場から旗津フェリーが運航している。料金は15元、10分程度の船の旅であり、5分に1本程度運航しているようである(2010年現在)。
西子湾駅から捷興二街を南西へ。200mほどで濱海一路に突き当たるので、ここを右折。500mほどでフェリー乗り場「鼓山輪渡站」に出る。
旗津半島側の「旗津輪渡站」でフェリーを降りて、大関路30巷を南東へ。200mほどで發祥路に突き当たるので右折する。500mほどで旗津三路に突き当たるのでここを左折。
旗津三路を3kmほど行った右手側に「戦争興和平紀念館」の入口の石碑がある。フェリー乗り場からタクシーに乗ると、5分で120元ほど。周辺には「風車公園」や「旗津海洋生物館」などの看板が出ているので、目印になるだろう。
入場料:無料
休館日、開館時間:不明
高雄空港
東南アジア方面や日本、韓国への便が発着する高雄国際空港である。高雄には陸上攻撃機部隊である高雄航空隊が設置されていた。
当時の滑走路の正確な位置は不明であるが、現在の空港周辺にあったのではないかと思われる。
高雄航空隊は支那事変では華南への渡洋爆撃を行い、大東亜戦争開戦後はルソン島のイバ飛行場、マニラ湾停泊船舶、コレヒドール要塞などを爆撃した。昭和17年(1942年)以降、高雄航空隊は南方へ進出したが、戦局の悪化に伴って稼動機がなくなり、昭和19年(1944年)に解隊となった。
「高雄空港」の歩き方
高雄空港 高雄の玄関口であり、日本からも直行便が出ている。高雄市内とはMRT紅線でつながっている。