台南市街

大東亜戦争における高雄・台南の歴史
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台南市街の戦跡一覧

成功大学

国立成功大学は台湾の名門大学であり、台湾の民族的英雄の鄭成功にちなみ名付けられた。前身は台湾総督府が昭和6年(1931年)に開校した台南高等工業学校である。キャンパス内には台南府城の8つの城門の一つ、小西門が移設されて保存されている。

戦後に台湾歩兵第二連隊司令部の敷地にも学部が増設された。3棟の軍の建物は保存され、現在も校舎として使われている。大成館は第二連隊の司令部であった。

歴史系館は本部長官と幕僚の事務室であった。大成館と似た外観を持つ。これら2つの建物は土台の上にあり、湿度の高い台湾に対応して通風孔が設けられている。周囲には回廊が設けられており、正面入口の柱廊玄関は古代ローマ様式である。

内部は一文字型の平面を採用している。長方形の建物の中央に一本の廊下が通っており、左右に部屋が分けられている。現在は教授の部屋等に割り当てられているようである。

廊下には日本統治時代の台湾の古地図などの歴史的資料が展示されていた。これは当時の鉄道の路線図のようである。

礼賢楼は校集会所として使われていた建物であった。玄関の大きなアーチが特徴的である。こちらは建物の傷みが少し大きいように見える。

「成功大学」の歩き方
大学キャンパスは台南駅から線路を挟んで反対側である。台南駅の前の北門路二段を北へ500mほどの小東路を右折。線路を渡って300mほどのところの右手にある校門から大学に入れる。

なお、台南駅の南側にも地下道があり、ここからでも線路を越えることができるようである。

大学に入って左手に成功湖があり、これを超えたところが十字路となっている。十字路の左前の建物が歴史学系館であり、歴史学系館に沿って左手に進んだところに小西門がある。

十字路右前の建物が大成館であり、大成館に沿って右手に進んでいったところにあるのが礼賢楼である。

国立台湾文学館

旧台南州庁舎は現在国立台湾文学館となっている。東京帝国大学建築学科出身の森山松之助によって設計された。森山は台南州庁舎だけでなく、明治-大正期の台湾の多くの政府系の建物を設計した。

建物は平仮名の「く」の字の形をしている。建物は米軍の台南空襲の際に大きな損傷を受けたが、現在はきれいに修復されている。

展示は台湾文学に関するものが中心である。日本統治時代には多くの台湾人作家が日本誌に日本語で小説を投稿し、優れた作品を残した。

また、日本統治時代の台南に関する資料が、パネルや写真で展示されている。

展示内容詳細はこちら
・旧台湾州庁舎
・館内展示

「国立台湾文学館」の展示内容
旧台湾州庁舎旧台湾州庁舎は戦後しばらくは国民党軍関係で使われていたようだが、現在では国立台湾文学館となっている。台南と州庁舎の年表である。昭和20年(1945年)2月~3月、連合軍機が台南市に焼夷弾を投下し、州庁舎は大きな損傷を受けた、と記...

「国立台湾文学館」の歩き方
台南駅前から南西へ600m程度のところに大きなロータリーがある。ロータロー南側の南門路の右手側が台湾州庁舎である。

入場料:無料
休館日:月曜日
開館時間:09:00-21:00
HP:http://www.nmtl.gov.tw/
(2010年現在)

日本統治時代の近代建築群

旧台南測候所である。現在は気象博物館となっている。台湾総督府が全島の気象を把握するために設立した測候所の一つであった。建物裏手には当時使われていた器具類が展示されている。

旧台南合同庁舎である。消防署と警察署が入居していた。現在は消防署となっている。中央の塔は火災の発生を監視するため、1930年代に建設された。壁面に「119」の数字が書かれている。台湾の緊急通報番号は日本統治時代から引き続き「119」が使われている。

旧日本勧業銀行台南支店である。現在は台湾企業の土地銀行が使っている。勧業銀行は土地開発や農田水利などの事業のために大量の資金を提供し、日本政府の「工業日本、農業台湾」の政策を支えた。重厚な近代建築の側面に現代的なATMが設置されているのが印象的であった。

旧林百貨店である。この一帯は1930年代に現代的商店街が計画整備され、「銀座」と呼ばれていた。現在も台南の一等地であるが、現在はフェンスで囲われて使用されていない。

旧台南警察署本部である。現在は台南市警察局が入居している。明治29年(1896年)に軍政制度が撤廃され、民生制度に改められたあと、民政部は警察本部の設置を始めた。

レンガ造りの建物の上の日本的な屋根瓦が印象的である。

旧嘉南大セン組合事務所である。現在は嘉南農田水利会となっている。嘉南の灌漑、排水、湿気防止、洪水防止などの水利工事の管理を行っていた。

旧台南愛國婦人会館である。現在は中学校となっている。日本愛国婦人会は日本の戦時中の主な婦人団体の一つで、本部は台北にあった。中央の丸いドーム屋根が特徴的である。

旧台南地方法院である。玄関の背後のドームは戦時中に米軍機の空襲を受けて大きく損傷した。

中華民国時代も引き続き地方法院として使われていた。現在は司法博物館が入居しているが、現在は修復作業中のようである。

「日本統治時代の近代建築群」の歩き方
台南駅前から南西へ600m程度のところに大きなロータリーがある。「台南測候所」はロータリー北側の公園路の左側である。「台南合同庁舎」はロータリー西側の民生路と中正路の間である。

ロータリーから中正路を200mほど南西に行ったところの忠義路二段との交差点の北東側(ロータリーから見て手前右側)に「勧業銀行台南支店」がある。交差点を挟んで反対側が「林百貨店」である。

日本統治時代の近代建築群ロータリーから南門路を100mほど行ったところの友愛街との交差点の北東側(ロータリーから見て左手前)が「台南警察署」である。友愛街を挟んで反対側が「嘉南大川組合事務所」である。

ロータリーから南門路を300mほど行ったところの府前路一段を右折し、100mほど行った左手が「台南愛國婦人会」である。府前路一段をさらに進み、忠義路二段を超えたところの左手が「台南地方法院」である。

水交社

台南空港北側に「水交社」と呼ばれる日本家屋群の残る一帯がある。水交社とは、明治9年(1876年)に海軍省の外郭団体として創設された海軍将校の親睦団体である。現在は取り壊されてしまったものも多い。

日本統治時代の1930年代、台南飛行場には海軍の台南航空隊が進出して一大航空基地となっており、軍人とその家族が暮らす居住区が必要とされた。

日本海軍は台南飛行場の北側に数百の日本式家屋を建造した。そこに水交社のクラブハウスもでき、この一帯は「水交社」と呼ばれるようになった。

この建物は理髪店だったようである。

戦後日本軍が引き上げると、台南飛行場は国民党によって接収された。水交社の建物群は引き続き国民党空軍軍人の居住区として使われた。こちらは国民党時代の集合住宅のようである。

この頃は国民党空軍の戦力は揃っておらず、米第13航空隊が進駐して共産党に対する制空権を確保していた。水交社には米軍人も住むようになった。その頃、水交社のメインストリートに空軍食料供応所ができ、軍人向けに物品が販売されるようになった。

空軍食料供応所は現在水交社市場となっている。一応営業している店もあるようだが、がらんとしていて人気はほとんどない。

「水交社」の歩き方
近代建築群の立つロータリーから南門路を2kmほど行くと、健康路一段との交差点がある。

この周辺の南門路、健康路一段、大成路一段、西門路一段に囲まれた一帯が水交社である。

空軍食料供応所と水交社市場は南門路から興中街に入ったところにある。

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