大東亜戦争における高雄・台南の歴史

高雄
高雄市街
・高雄駅
・高雄市役所
・日本家屋
・高雄神社

高雄郊外
・岡山基地
・海軍軍官学校
・旗後砲台
・戦争興和平紀念館
・高雄空港

台南
台南市街
・成功大学
・国立台湾文学館
・日本統治時代の近代建築群
・水交社

台南郊外
・飛虎将軍鎮安堂
・億載金城
・台南空港
・南台南火車站
・保安車站

高雄(ガオション)は台湾において台北につぐ第2の都市である。台北とは高速鉄道(台湾新幹線)で最短90分で結ばれている。人口は都市部だけで152万人以上(2010年)を超える。高雄には大工場のほか町工場も多数集まり、台北が商業都市とするなら高雄は工業都市と言えるだろう。

一方、台南は台中に次いで第4の都市であり、人口は77万人である(2008年)。台湾で最も早くに開発された古都であり、歴史的な史跡が多い。台湾島を最初に「領有」したオランダは台南に拠点を築いた。オランダを駆逐した鄭成功も台南を引き続き首府とした。高雄の約50kmほど北に位置し、電車で約30分ほどの距離である。

明治28年(1895年)日清戦争が日本の勝利で終わると、下関条約によって台湾は日本に割譲された。南方資源の獲得を狙っていた日本海軍は、台湾南部の高雄を前進基地として開発を進めた。台南には台南海軍航空隊(第二五一海軍航空隊・戦闘機部隊)が、高雄には高雄海軍航空隊(第七五三海軍航空隊・陸上攻撃機部隊)が配置された。

昭和16年(1941年)12月8日、大東亜戦争開戦と同時に南方作戦が開始された。その一つがフィリピン諸島攻略作戦であった。フィリピン諸島は日本本土と南方資源地帯の中間にあり、在フィリピン米軍は海上輸送路に対する大きな脅威となることが予想されたのである。

開戦時、フィリピンにはクラーク飛行場とイバ飛行場に米軍の航空兵力が集結していた。これらの航空兵力を撃破し、フィリピンの制空権を奪取すべく攻撃をかけたのが高雄・台南の日本海軍航空隊である。クラーク飛行場には 「零式艦上戦闘機(零戦)」36機と「一式陸上攻撃機(一式陸攻)」と「九六式陸上攻撃機(九六陸攻)」54機が攻撃に向かった。イバ飛行場には「零戦」と「一式陸攻」が54機ずつ向かった。

フィリピンの米陸軍司令官マッカーサーは真珠湾攻撃の通報を受けており、当然「P-40(ウォーフォーク)」などの戦闘機を上空に上げて警戒していた。しかし、攻撃隊の台湾出発が濃霧のために遅れてしまったことが逆に幸いとなり、米軍戦闘機が燃料を使い果たし給油にために地上に降りていたタイミングでの到達となった。少数の「P-40」が上空に上がったものの、全てが「零戦」に撃墜された。米軍機のほとんどは地上で破壊され、米軍は一日にして過半数の航空兵力を失い、以後フィリピンの制空権は日本軍が握ることとなった。

当時「零戦」の航続距離は世界の戦闘機の常識をはるかに超えており、マッカーサーは「零戦」が陸上攻撃機に随伴して台湾から飛来してきたとは思わず、多数の哨戒機を出して存在しない日本空母を捜索した。その後フィリピンには第十四軍が上陸し、昭和16年(1942年)5月に米比軍は降伏した。

序盤を優勢に進めていた日本であったが、戦争後半は形成が逆転し、昭和20年(1945年)にはフィリピン諸島が米軍に奪還された。米軍は台湾を放置して沖縄を狙ったため、台湾は日本が統治した状態で終戦を迎えた。終戦後は中国国内の国共内戦で敗れた国民党が遷都してきて現在に至る。

現在の高雄・台南には多くの日本統治時代の建物が遺されており、現在も修復しつつ使用されている。また、日本軍の使用していた飛行場は現在も軍用、あるいは民間空港として使われている。

そして、忘れてはならないのが台湾籍日本兵の存在である。彼らは日本兵として戦地に向かい、多くの犠牲を払った。しかし、台湾籍日本兵は日華平和条約によって日本国籍を失い、日本軍人が受けた恩給や補償を受ける権利を失ってしまった。さらに、終戦後台湾に復員した彼らは国民党軍に徴用され、中国大陸に送られて共産党軍と戦うこととなったのである。

現在、台湾は概ね親日的である。それは、日本統治時代の政策がある程度評価されている面があるためと思われる。しかし一方で、台湾籍日本兵の苦悩や、植民地支配の負の面もあり、それらを踏まえた上で今後も両国の友好を深めいきたいものである。

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